片目は開けて眠る

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4.14土曜。

副業でなんやかんや忙しい。そんな折、嫁から国会前に行こうという。実は以前から4.14は国会前にいくよと言われていたが、仕事が入ってしまったのだ。そこで仕事のためにいけないというと言うと家庭内イデオロギー戦争が勃発。結局一人で行かせてしまった。

嫁は3人兄弟の末っ子。人の空気を読むのがうまい、というか、それが生存に係る処世術であることをわかっている。その場でできる自分の、最善のものを提供するということに長けているのだ。そんな嫁が(初期パンク上がり)国会前にいくという。その場の空気を読むことに長けている人間はその場のリーダーの気持ちがわかるということだろう。ただ、その場のリーダーが不正をしたらただでは済まさない。そういうロジカルによっての突き上げる気持ちと、自分の今までの生き方の過程があり、今回のこの件には許せないものがあるのだろう。私はこの手の感覚に疎くて損をしている実感がある。このように人の間で最善を行い生きてきたポジティブな感性に強く惹かれている。

場の規律を犯すものへの憎悪。私だってそうだ。一応。ただ、家族を守る、今の庶民のスタンダードなやり口として収入を増やすを全うし、闘っているつもりなのだ。(闘うとはなんだろうか)

どちらが正しいということではなく、互いの領分でこの土曜は闘って生きたのだと思う。

私はweb上で情報をなるたけ集め、万が一のときには現場にいる嫁に逃走経路などをナビゲートできればと構えていた。家庭内ミッドフィルダー的なイメージ。

バリケード決壊など扇情的な単語が並ぶ。実は何日も前から起こっていた事象ではある。メインコピーにもってくるだけで状況を変えた気持ちになる。広告だ、それは。行動が目的にすり替わってしまった人々が叫ぶ。今日はシリアで第三次世界大戦の火種になるような出来事も起こっている。しかしこれも世界の情勢的には意外な出来事ではない。

 

集まった人数の公表は3万人。でも嫁の肌感覚はそんなにはいなかったとのこと。もうこれってインディーズバンドの集客公表みたいになってきていて、私の「現場に行かなかった理由」の一つの危惧の具現と思ってしまった。

行動の本当の理由って、反政府デモ、インディーズバンド、それぞれなんなんだ。私はインディーズバンドをやっていたので具体的に出てくるが、「自分試し」というものが大きい人間を多数見た。そして自分もその一人であった。音楽や表現より、時代への現象を求めていたかもしれない。音楽はツールであって、人々に訴えるものはなんだってよかった。音楽を語る人間を馬鹿のように見ていた節がある。なんの得になるのだろうと。音楽と心中することはできなかった。

そんなことを考えながら、you-tubeでリアルタイムの国会前の騒乱を視聴しながら仕事をしていた(しかも副業)。

私の一貫した主張は家族の平和だ。そのために動いた嫁は誇らしかったし、自分の仕事もよくできたと思う。

ただ、現場で起きた本当の事とは見ていない。

 

夜、嫁の帰りに合わせ、最寄り駅で待ち合わせる。今は何もないだろうが、その安心を噛みしめる。デモの帰りに美味しいパンを買ってきたそうだ。私はそれでいいと思うし、それだけこの人を愛している。帰り道にアジアン料理店へ行き、美味しいものをたくさん食べた。

夜は坂本教授のNYでのライブを見る、と言うか深夜の我が家の日常のBGMとして贅沢な時間のレイヤーを重ねた。

 

 

15日日曜。

副業のデータがOK出たので納品。本当は鬼太郎さんを観ながらやろうとしたが寝坊。データ送付に諸々あったが無事集結。朝食を食べながら、掃除をしながらの対応。

買い物へ行き、道すがらアルコールを飲む。